ヒバクシャ:イランで会った子どもたち案じ「報復の連鎖」にNO 86歳の訴え

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ヒバクシャ毎日新聞 2026/3/16 08:00(最終更新 3/16 08:00) 有料記事 1655文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷2007年11月のイラン訪問時に、テヘランのムハンマド・バクル・カリバフ市長(右)に長崎市長のメッセージを手渡す川野浩一さん=川野さん提供 イランの首都テヘランが爆撃を受け、炎と煙が上がる様子が、連日テレビに映し出される。19年前にその街を訪れていた長崎県長与町の被爆者、川野浩一さん(86)は今、無力感で押しつぶされそうな思いでいる。「あの時の子供たちが犠牲になっていないか」 1940年、父が警察官として赴任していた朝鮮半島の平安北道(現在の北朝鮮)で生まれ、翌41年に両親の故郷・長崎市に引き揚げた。 5歳だった太平洋戦争末期、毎晩のように「敵機襲来」と空襲警報を受けて防空壕(ごう)に逃げ込んだ。郊外の一時避難先から市内の自宅に戻る途中、トンネルを出た途端に米軍機に強襲された時には、母が覆いかぶさって守ってくれた。 45年8月9日は、米軍が原爆を投下した爆心地から約3・1キロの自宅近くの路上にいた。飛行機の爆音が聞こえたかと思うと突然飛ばされて意識を失い「『ピカ』も『ドン』も分からなかった」。山手の高台に逃れ、市街地が燃えるのを見て絶望感を覚えた。 戦後、自宅に帰ると、床の間に破れたバケツがあり、消し炭のような真っ黒いものが入っているのを見た。爆心地近くの浦…この記事は有料記事です。残り1187文字(全文1655文字)【時系列で見る】【前の記事】「源流は広島と長崎」 韓国人被爆者が切り開いた道関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>