水俣病の公式確認70年、「なぜ」と今を解説 最初の患者は幼い姉妹

Wait 5 sec.

水俣病慰霊の碑 四大公害病の中でも、「公害の原点」といわれる水俣病が公式確認されてから今年の5月1日で70年になります。どんな公害で、なぜ起きたのでしょうか。歴史的な経緯を含めてポイントをまとめました。この記事のポイント①なにが起きたのか②どうして起きたのか③被害はなぜ広がったのか④なぜ止めようとしなかったのか⑤償われたのか⑥工場はどうなったのか⑦日本だけで起きているのか①なにが起きたのか 1954年、熊本県水俣市の漁村でたくさんのネコがふらふらと踊るようになって死んでしまった、と地元の新聞が伝えました。少し前から、海にプカプカと浮く魚や、飛べなくなった鳥の姿もみられていました。 その異変は人間にも広がりました。2年後の56年5月1日、患者の発生が水俣保健所に届けられ、水俣病が公式に確認された日となりました。最初の患者は水俣湾のそばに住む5歳と2歳の姉妹でした。 足もとがふらふらする、言葉がもつれる、全身がはげしくふるえる。地元のお医者さんが調べると、姉妹と同じような患者がたくさんいるとわかりました。でも最初は原因がわからない「奇病」とされ、患者や家族は冷たい目でみられました。【動画】震えるネコと水俣病の患者たち=熊本学園大学水俣学研究センター提供②どうして起きたのか 化学製品をつくる会社チッソの工場で、プラスチックの原料をつくるときに発生した有毒な化学物質「メチル水銀」が原因です。 工場から海に流された水の中に含まれ、プランクトンや貝にたまり、それを魚が食べると、どんどん濃くたまっていきます。メチル水銀が含まれた魚や貝を食べると、脳の神経が壊されます。見る、聞く、話す、歩くといったことが不自由になり、ひどい時には死んでしまいます。見た目は変わりがないようでも、頭痛や手足のしびれ、味やにおい、熱さがわかりにくいなどの症状もあります。完全に治す方法は今もありません。水俣病の典型的な症状 人から人にうつること(感染)はありません。親から子へ、子から孫へ、水俣病が伝わること(遺伝)もありません。工場が海に流した水で汚れた魚を毎日のように食べるなどして、体の中にメチル水銀が入らなければ水俣病にはなりません。 ただ、おなかの中にいる赤ちゃんに、お母さんが食べた魚の水銀がへその緒から入ることがあります。そのため、生まれたときから水俣病の赤ちゃんもいて、胎児性水俣病と言います。胎児性水俣病が起きるまで③被害はなぜ広がったのか 魚をたくさん食べる漁村に患者が多いことから、保健所の人が水俣湾の魚をネコに与える実験を行うと、患者と似た症状が確認されました。安全に食べられてきた魚を変えたのは何か。工場が流した水がすぐに疑われましたが、チッソは否定しました。 チッソは調査に協力しない一方で、工場の水を流す場所を水俣湾から、不知火(しらぬい)海という広い海の方に変えました。水の汚れを薄めたかったようですが、結果としてメチル水銀を不知火海全体に広げてしまいました。 住民を守る役割がある国や熊本県はどうしていたのでしょうか。水俣湾の魚を食べると症状が出るのだから、魚を取るのを禁止すればいい、と熊本県は考えました。でも国が認めませんでした。「水俣湾のすべての魚が危険だとは分かっていない」という理由でした。対策がとられないまま、水俣病の被害はどんどん広がっていきました。水俣の地図④なぜ止めようとしなかったのか 当時は「高度経済成長期」が始まったころでした。戦争に敗れた日本がようやく豊かになり始め、国や会社は経済成長を止めたくありませんでした。自然や環境を守ることは後回しになり、工場からの汚れた水や煙が人々の健康を悪くする「公害」が全国であいつぎました。 水俣病ではメチル水銀が原因と分かった後も、チッソは関係を認めずに工場から汚れた水を流し続け、国もそれを止めませんでした。国が「水俣病の原因はチッソ」と名指ししたのは1968年。メチル水銀が発生する設備を使わなくなった後でした。【動画】チッソ水俣工場とかつての水俣の漁村風景=熊本学園大学水俣学研究センター提供 その前の65年、同じメチル水銀が原因の新潟水俣病(新潟県)が確認されました。四日市ぜんそく(三重県)、イタイイタイ病(富山県)とあわせて「四大公害病」と呼ばれています。中でも水俣病は「公害の原点」と言われています。⑤償われたのか チッソは長く責任を認めませんでした。1959年末に見舞金を出しましたが死亡者30万円など極端に低額でした。「将来、水俣病の原因が工場排水と決定しても新たな補償要求は一切しない」という一文まで盛り込まれました。 この一文は1973年の裁判の判決で「公序良俗に違反し、無効」とされ、チッソに償いが命じられました。病院に通う費用や補償金を払うようになりましたが、国が定めた基準で水俣病と認められた患者に限られていて、2026年2月末で2284人だけです。 国の基準はとても厳しく、約1万8千人が水俣病と認められませんでした。いくつも裁判が起こされた結果、水俣病の被害が広がるのを止めなかった国や熊本県にも責任があることが認められました。国は、患者とは認めずに「被害者」として、病院にかかる費用などを払う人を増やしました(約6万4千人)。それに納得しなかったり、対象にならなかったりした人たちの裁判がいまも続いています。水俣病の被害の広がり⑥工場はどうなったのか 今も水俣市にあり、多くの人が働いています。テレビやスマートフォンなどの画面に必要な材料、化学肥料をつくっています。 水俣病を起こした後、患者への補償が増えて倒産寸前になりました。政府や銀行がお金を貸すなどして助けています。2009年にできた法律で、工場を続けるための子会社がつくられ、チッソは補償に専念する会社として残っています。 水俣湾の底にはメチル水銀がたまりました。被害の拡大を食い止めるため、熊本県は濃い水銀を含む泥をすくい集め、特に汚れのひどい湾の一部を埋め立てました。工事は1990年に終わり、97年に「安全宣言」を出しました。いま、埋め立て地は公園になっています。地震などで封じ込めた泥が流出しないように県が監視を続けています。 県は毎年、水俣湾の魚の水銀の量をはかっていて、国が一時的に定めた基準(暫定的規制値)は下回っています。シラスやタチウオは水俣の名物です。メチル水銀がたまった水俣湾の底の泥はすくい取られ、一部は埋め立てられて公園(手前中央)になった=2025年12月、熊本県水俣市、朝日新聞社ヘリから⑦日本だけで起きているのか 海外でも問題が起きています。カナダでは工場からの水銀を含んだ魚を食べた人たちが健康被害を受けました。中国東北部でも化学製品の工場から流れた水で人々に水俣病と同じような症状が出ました。金をとる作業でも水銀が使われ、問題が起きています。世界の水銀汚染 被害を防ぐための国同士のルールが2013年に熊本県でつくられました。水俣病のようなできごとを繰り返さないという思いを込め「水俣条約」と名付けられました。 人や環境に被害を与える可能性があるものが、わたしたちの暮らしや豊かさを支えているときに「止める」ことができるのか。水俣病はいまも問いかけています。