初の大関昇進伝達式後の記者会見で霧馬山からの改名を発表した霧島(左)と陸奥親方(元大関・霧島)=東京都墨田区の陸奥部屋で2023年5月31日(代表撮影) 大相撲春場所で優勝した関脇・霧島の大関再昇進が確実となった。2度目の大関昇進に際して、使者が本人に昇進を伝える「伝達式」は行われるのだろうか。 霧島は一時、番付を平幕まで落とした。平幕以下からの大関復帰は、現行のカド番制度では3例目。過去に成し遂げた2人は、いずれも角界の歴史に名を残す相撲人だ。【飯山太郎】Advertisement1場所で再昇進は過去6人 大関昇進の目安は近年、「三役で直近3場所計33勝」とされる。 霧島は前頭2枚目だった昨年九州場所と、関脇だった1月の初場所で、それぞれ11勝を挙げた。そして、今場所は12勝3敗で14場所ぶり3度目の優勝を果たした。 大関からの陥落にまつわるカド番は、1969年名古屋場所から現在の制度になった。 大関で2場所連続で負け越したら翌場所は関脇に陥落▽関脇に陥落した場所で10勝以上したら大関に復位――が基本だ。 陥落から1場所での復帰は栃東(現玉ノ井親方)の2回を含め計7回(6人)ある。 この場合は相撲内容にかかわらず、10勝以上すれば自動昇進となる。そのため、伝達式も行わないことが日本相撲協会の番付編成要領に定められている。 対して、霧島のように「1場所復帰」を逃しながら後に大関再昇進を果たした場合は、初昇進と同様に臨時理事会で昇進の可否が議論される。このため、伝達式も行われる。角界の危機乗り越えた理事長も 現行の制度で、平幕以下に落ちながら初めて大関再昇進を果たしたのが、77年初場所後の魁傑だ。 魁傑は関脇に落ちた76年初場所も負け越して「1場所復帰」はならなかった。しかし、前頭4枚目だった同年秋場所で2回目の優勝を果たした。日本相撲協会の理事長を務めた元大関・魁傑の放駒親方(故人)=東京・両国国技館で2012年1月27日午後3時16分、竹内幹撮影 さらに、翌九州場所からは関脇で2場所連続で11勝を挙げ、77年春場所で大関へ返り咲いた。 2度目の大関在位は4場所で終わり、79年初場所中に前頭9枚目で引退。その後は放駒親方となり、横綱・大乃国(現芝田山親方)らを育てた。 誠実な人柄を評価され、危機に直面した相撲界のかじ取りも託された。2010年8月に日本相撲協会の理事長に就任し、野球賭博事件、八百長問題などの対応に当たった。理事長は12年1月まで務め、定年退職後の14年5月に66歳で急逝した。序二段から「史上最大の復活」 2人目は昨年初場所中に引退した横綱・照ノ富士(現伊勢ケ浜親方)だ。 関脇だった15年夏場所で初優勝し、場所後に平成生まれで初の大関となった。しかし、けがや病気に苦しみ、17年名古屋場所から2場所連続で負け越して関脇に落ちた。その後は4場所連続全休などもあり、19年春場所では序二段まで落ちた。大関再昇進を伝達された後、部屋の力士に祝福される照ノ富士(現伊勢ケ浜親方)=東京都江東区の伊勢ケ浜部屋で2021年3月31日(代表撮影) ここから番付を上げ、20年7月場所で幕内に復帰すると、いきなり2回目の優勝を果たした。さらに関脇だった21年春場所で3回目の優勝を飾り、場所後に大関に再昇進した。 大関経験者が序二段まで落ちて返り咲く「史上最大の復活」を達成。後に横綱まで上り詰めた。 かつて綱取りに挑んだ霧島の大関再昇進が今回決まれば、伝達式は25日に執り行われる。 23年夏場所後の最初の大関昇進にあたり、霧島は伝達式で「大関の名を汚さぬよう、今まで以上に稽古(けいこ)して頑張ります」と口上を述べた。 2回目の伝達式では、金びょうぶの前でどのような決意を述べるのだろうか。