キャンパる:難しい戦争慰霊碑の管理 存在意義深めるには…「平和の礎」に学ぶ

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キャンパる毎日新聞 2025/9/27 08:00(最終更新 9/27 08:00) 2888文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷沖縄慰霊の日の今年6月23日、「平和の礎」に刻まれた父の名前をなぞり、涙する女性=沖縄県糸満市で 日本各地には戦争にまつわる記念碑や慰霊碑が数多く建設されてきた。しかし、社会の世代交代が進むなかで、管理・保存が難しくなる事例も少なくない。太平洋戦争の戦没者遺族の高齢化が進むなか、記念碑や慰霊碑は今後、どのような役割を果たしていけるだろうか。沖縄戦の終結から80年となる今年、数多くの来訪者を集める沖縄県の「平和の礎(いしじ)」を具体例として考察してみた。【早稲田大院・濱田澪水(キャンパる編集部)】悲劇的結果が一目瞭然 太平洋戦争末期、1945年3月から6月にかけて行われた沖縄戦は、非戦闘員だった沖縄県民を巻き添えにした大規模な地上戦だった。日本軍と米軍の戦いは激烈を極め、日本軍約9万4000人、米軍約1万2500人が戦死した。このほか、各地で砲撃や銃撃による犠牲者に加え、「集団自決(強制集団死)」に追い込まれる悲劇が発生し、一般住民の犠牲者は約9万4000人にのぼる。Advertisement1995年、戦後50年に建設された「平和の礎」=本社機から 95年6月23日、太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念し、同県糸満市摩文仁(まぶに))の平和祈念公園内に「平和の礎」は建てられた。沖縄本島南端に近い摩文仁は日本軍の組織的戦闘が終結した地であり、沖縄戦の悲劇と恐怖を象徴する場所である。 「平和の礎」は、敵味方や国籍、軍人・民間人の区別なく、沖縄戦で亡くなったすべての人の氏名を碑に刻んでいる。「平和の礎」建設に携わった関係者の証言によると、この措置の背景には、沖縄戦とは何だったのか、失われた命はどれだけあったのか、その結果を一目瞭然に示すことで、この地で二度と戦争を起こさせないという決意があるとされる。兵士は部隊や序列を示さず、50音順で刻銘する。自国の死者だけでなく敵国の死者も等しく刻銘する碑は世界的に見ても他に例がないという。墓参、平和教育の場としての役割も 当初は「戦没者の追悼と平和祈念」「戦争体験の教訓の継承」「安らぎと学びの場」という三つの理念に基づき、記念碑として設置された。しかし、沖縄戦では激戦ゆえに、どこで亡くなったのか分からない人もいる。名前が判明せず、「○○の子」と刻銘される事例もある。そのような戦死者の氏名が刻まれた碑の前で、遺族が献花する光景が広がり、あたかも特定の故人の墓参りのような、弔いの場としての性格も強まった。遺族の方ともやりとりをするという沖縄県平和・地域外交推進課の川満孝幸副参事は「戦没した場所も分からない、遺骨も戻らないという遺族の方にとっては、心のよりどころにもなっている」と指摘する。沖縄戦の犠牲者の名前が刻まれた「平和の礎」(手前)と沖縄県平和祈念資料館=沖縄県糸満市で 一方、外国人や修学旅行生、地元の小中学生らや親子連れも訪れる場所となっている。同公園内には、県民の視点で見た沖縄戦の現実を伝承する「平和祈念資料館」もある。「平和の礎」とともに訪れることで、戦場のむごさ、戦争の悲惨さが実感できる平和学習の場にもなっている。全国規模で進む理念の広がりを受けて 「平和の礎」には設置時点で約23万4000人が刻銘された。ただこれはその当時調査済みだった数で、未調査の犠牲者の特定や、追加刻銘の作業は今も続いている。追加刻銘対象者の選定には、沖縄県だけでなく他の都道府県、厚生労働省、米国政府、韓国・北朝鮮関係の民間団体、台北駐日経済文化代表処那覇分処、有識者、県民、市町村といった官民が協力し合って進めている。 近年、追加刻銘は増加傾向にある。従来は年間40~50人程度で推移していたものの、2023年365人、24年181人、今年は342人を数え、総数は24万2567人(6月23日時点)となっている。川満副参事は、刻銘数の増加について「『平和の礎』の理念に共感している人々の輪の広がりが一つの要因だろう」と分析する。 理念に共感した民間団体や個人は、どのような人が刻銘対象者になるのかを調べて、全国の都道府県に申請を働き掛けている。沖縄県外出身者の刻銘は、都道府県による申請を受けて行われるためだ。 その努力が実った例が、沖縄に向かう水上特攻作戦で撃沈された戦艦大和の乗組員の刻銘だ。同作戦では大和の乗組員だけで約3000人、護衛の5船で約1000人が死亡した。この犠牲者のうち、民間のボランティアや研究者の努力で確認が進んだ広島県の大和乗組員の刻銘を進める取り組みが23年から始まったことが、刻銘数を押し上げる要因となった。1995年6月23日に除幕された「平和の礎」。碑に刻み込まれた名前を探す参列者たち=沖縄県糸満市で また、刻銘された名前を読み上げて犠牲者を追悼する「沖縄『平和の礎』名前を読み上げる集い」が22年から始まり、今年は沖縄県外も含めて6000人超が参加した。このような民間の活動も貢献する形で、「平和の礎」の理念浸透が全国規模で進んでいるという。維持困難な慰霊碑も 「平和の礎」の維持・管理は、設置者である沖縄県が公益財団法人沖縄県平和祈念財団(前身は沖縄県戦没者慰霊奉賛会)へ指定管理料を支払う形で運営されている。同財団は主に清掃・点検・警備・要人の案内などの業務を担う。 「平和の礎」は県主体のもと安定的に維持・管理されている一方、同じ平和祈念公園内には府県や団体がそれぞれの思いを込めて建立した慰霊塔も50基ある。また、沖縄県の調査によれば、県内の沖縄戦関連の慰霊塔・碑は20年度時点で440基にのぼる。 これらの慰霊碑は建立者など関係者による管理を原則とするが、同県保護・援護課によれば、「管理者の高齢化や所在不明により維持が困難なケースもある」という。こうした課題については、沖縄県が各慰霊碑の個別の事情を勘案し、関係者及び国や市町村と話し合って対応を決めていく方針だという。「平和の礎」に名前が刻まれた台湾出身者たちに向け、花束などをささげる台湾からの慰霊団=沖縄県糸満市で今年6月23日「沖縄の心」を世界に広げたい 80年前の沖縄戦を知る生存者はもはやひと握りで、犠牲者の肉親の高齢化も進む。「平和の礎」はこの向かい風を乗り越えていけるだろうか。同県平和・地域外交推進課の浦添彩佳主査は「『平和の礎』は、沖縄に関する作戦で亡くなった人々の数を可視化し、目に見える形でどれだけの人が亡くなったのかを伝えるという点で、重要性が高まっていく」と話す。また川満副参事は「それぞれの遺族の思いを大切にしながら、平和発信の一つの施設として活用できたらいい」とも語る。 沖縄県は今年6月から、新たに「平和の礎」の刻銘者をインターネット検索できるシステムの運用を始めた。6カ国語に対応し、刻銘者の氏名や生年月日、亡くなった日付や刻銘板の位置などが分かる。 また来年3月には、ネット上の仮想空間であるメタバース上に「平和の礎」を再現し、現地を訪れずとも自らの分身であるアバターを用いて園内を散策したり、戦没者がどこに刻銘されているかが確認できたりするようになる予定だ。 こうした取り組みは、世界に類例のない記念碑である「平和の礎」の価値と、平和を希求する沖縄の心を、世界に向けて広くアピールし、日本にいなくてもこの碑の存在を知り、「来訪」する人の増加につながるだろう。浦添主査は「(平和の礎を)知らない人にも訪れてもらって、戦争の悲惨さと平和の尊さを感じてもらいたい」と語る。今後、平和教育や交流の拠点としての活用がより一層、期待される。【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>