映画の推し事:情熱と才能、信頼 赤裸々ドキュメンタリーに見たレッド・ツェッペリンが世界トップに上り詰めたわけ

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映画の推し事毎日新聞 2025/9/27 22:00(最終更新 9/27 22:00) 3097文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷 あまりの衝撃に全身の細胞がざわめいて鳥肌が立った。 ラジオの深夜放送は新しい世界の扉を開ける最高のメディアだ。毎晩寝る間も惜しみ深夜放送を聞いていた1970年のこと。サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」が全英トップになり、ビートルズが「レット・イット・ビー」を、シルビー・バルタンが「悲しみの兵士」を、ステッペンウルフが「ワイルドでいこう!」を歌っていたその年の暮れの深夜に突然、強烈な雄たけびが響き渡った。ハードロックの先駆者誕生の舞台裏 「アアーアー、ア、アア」。空間をつんざく叫びに眠気が吹き飛び、あまりの衝撃に全身の細胞がざわめいて鳥肌が立った。レッド・ツェッペリンの「移民の歌」。斬新だった。翌朝レコードショップへ走り、リリース前のシングル版を予約し、届くのを心待ちにしたことを思い出す。Advertisement 60年代後半から70年代にハードロックやヘビーメタルの先駆者となり、センセーショナルな衝撃を若者に与えたレッド・ツェッペリン。彼らも子供時代に先人たちの音楽から衝撃と天啓を受けた者たちだった。プレスリー、リトル・リチャード、ジェームス・ブラウン ドキュメンタリー映画「レッド・ツェッペリン:ビカミング(起源)」(9月26日公開)は、メンバーひとりひとりが戦後復興期を過ごした子供時代を回想しながら、影響を受けたミュージシャンについて語るところから始まる。 リードギターのジミー・ペイジはエルビス・プレスリーやロニー・ドネガンを聞いて「火星人かと思った」というほどの衝撃を受け、ボーカルのロバート・プラントは、扇情的なリトル・リチャードに心を奪われ、ベースのジョン・ポール・ジョーンズは英国ロックのジョニー・キッド&ザ・パイレーツに感化された。 そして、ドラムのジョン・ボーナム(愛称ボンゾ)はソウルのジェームス・ブラウンを愛した。16歳の時に彼のステージを見て、ドラムのパワフルさに圧倒されたという。誕生「Lead」から「Led」へ 4人は子供の頃から努力家だった。リーダーのジミー・ペイジは、19歳でスタジオミュージシャンになり、その力量が認められ、ザ・フーやドノバン、ローリング・ストーンズ、デビッド・ボウイなどとのセッションをこなすようになる。 21歳の頃、エリック・クラプトン脱退後のヤードバーズから声がかかり、やがてジェフ・ベックと共にツインギターで活躍し始める。 しかし、アメリカツアー中にベックが脱退し、他のメンバーもバンドの不仲を理由に脱退。一人取り残されたペイジは、ボーカルを探しまわるうちに無名のロバート・プラントに出会う。 「彼の声はとびきり素晴らしかった」とペイジは言う。プラントはドラマーにボンゾを強く推薦した。そしてペイジは、ベースにスタジオミュージシャン仲間の技量あるジョン・ポール・ジョーンズを招き入れた。 こうして「ニュー・ヤードバーズ」が結成され、北欧ツアーを行った後、「レッド・ツェッペリン」に改名。ちなみに、このバンド名はザ・フーのキース・ムーンの口癖に由来する。彼はよく「うまくいかない、失敗する」ことを「鉛の風船(lead balloon)」と言っていた。マネジャーのピーター・グラントが面白いと感じメンバーに提案すると、ペイジは鉛を意味するlead(読みはレッド)を誤読しないように「a」を抜き、Led Zeppelinと命名した。世界トップへの道のり この映画では、結成から名声を得るまでの日々を本人たちがライブ映像を交えて振り返りながら、彼らがビートルズを揺るがすほどの勢いで世界トップのグループへと上り詰めた理由が明らかにされていく。 ハイトーンで咆哮(ほうこう)する金髪の美神ロバート・プラント。龍をペイントしたサイケデリックなギターをバイオリンの弓で弾き、極彩色のリフを生み出すアグレッシブなジミー・ペイジ。パワフルで重いビートをたたきながらも、たくさんのフレーズやリズムを歌うように生み出すボンゾ。そして、アレンジャー能力と多彩なスタイルを持つジョン・ポール・ジョーンズ。多彩な影響、個性生かした構成 成功の要因は、もちろん4人が優れた才能の持ち主だったことにある。しかも、それぞれが異なる音楽から影響を受けていたため、ブルース、フォーク、ハードロック、民族音楽、クラシックと幅広いサウンドスタイルを演奏できたことも要因の一つだ。 しかし、何よりも彼らが成功を手にした最大の理由は、メンバー間の信頼にあった。彼らが曲をアレンジする際、4人それぞれの突出した特色が出るように、曲全体は巧妙に構成された。 ロバート・プラントが初めて作詞し、神秘的なストーリーテラーとしての才覚を現した「ランブル・オン」に関して、彼はこう語る。 「この曲には4人の要素と解釈が詰まっている。この時すべての壁は壊れた」と。以心伝心 成功は分かっていた 驚異的な才能集団レッド・ツェッペリンは、互いの能力を尊重しながら最高の曲を生み出そうとするバンドだった。しかも彼らは単純な反復を嫌い、ステージに立つたび緊張感ある即興演奏をした。 ペイジは「4人は以心伝心だった」と語り、ジョン・ポール・ジョーンズは「全員が互いの音を聞き、見つめていて、信頼しあっていた」と言う。彼は別のインタビューでこう語っている。 「僕らは誰でも曲を好きな方向へ持っていくことができたし、皆が付いてきてくれることも分かっていた。まるで鳥の群れがいて、その中の一羽が別の方向へ飛んで行くと、突然群れ全体が向きを変えるような感覚だった」 そして、プロデューサーでもあったペイジは「成功」についてこう語る。 「僕たちは最初からうまくいっていた。初めてスタジオに入ったときから、成功することが分かっていた」米国でのブレーク、祖国の酷評 結成当時の68年は英国のマスコミから酷評され、どんなに斬新で革命的なサウンドを演奏してもまばらな拍手しか得られないどころか、彼らが放つ爆音に耳を塞ぐ者さえいた。アメリカではツアー当初は人の入りは良くなかったものの、頻繁にFMラジオからアルバム全曲が流れるようになると、鋭くヘビーなサウンドに心をわしづかみにされた若者たちが、ひと目見ようとギグに集まり出した。 アメリカの観客たちが会場で熱狂的に踊り出し、チケットが売り切れて入場できない人が出始めたのが69年。 ところが、大ブレークしたアメリカとは裏腹に、彼らは英国では相手にされなかった。ツアーから帰国するたびに、そのギャップに4人は小首をかしげた。故郷の英国で火がつき、大歓声で迎え入れられたのは70年に入ってからだった。「努力することだ。夢は実現する」 この映画は、68年の結成から、アルバム「ツェッペリンⅡ」でゴールドレコードを獲得し、一夜にしてミリオンセラーを稼ぎ出した69年、そして英国人の意識を見事にひっくり返した70年初めまでを、本人たちが当時のライブ映像や家族の写真を見ながら語る貴重なフィルムだ。亡きボンゾの語りも聞ける。 見れば、世界トップの座へ駆け上がった4人の優れた気質とほとばしる才気、そして互いの才能を最高に生かしながら、アバンギャルドなサウンドで世界に衝撃を与えようとした彼らの真っすぐで若々しい情熱を改めて知ることになる。 なお、映画のラストですっかり白髪になったジミー・ペイジが次世代のために真摯(しんし)なメッセージを残している。 「もし君に人と違う才能があれば、それを伸ばすために努力することだ。夢は実現するはずだ」(北澤杏里)【時系列で見る】【前の記事】パンクのルーツだったモッズでクレージーな“破壊王” 「ザ・フー キッズ・アー・オーライト」関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>