治安維持法制定に反対してデモ行進する群衆=1925年(大正14年)2月11日撮影写真一覧 戦前と戦時中、言論や思想の自由を奪った治安維持法は10万人以上の拘束と拷問死93人、虐待や病気、釈放後の自殺を含めると1000人以上の死をもたらしたとされる。1925年5月の施行から100年を迎える中、弾圧が厳しかった京都での歴史を解説する書籍「レジスタントの京都 治安維持法下の青春」(日本機関紙出版センター、1980円)が7月に出版された。同法犠牲者国家賠償要求同盟京都府本部が作成した京都関連の被害者約1000人の名簿も添付。戦後の民主主義も改めて見つめ直し、再び戦争への道を進まぬよう警鐘を鳴らす。 同盟は全国組織が1968年、府本部は88年に設立。同法下の国家弾圧の歴史を掘り起こすと共に、被害者の人権回復と国の謝罪・賠償を求めてきた。Advertisement7月に出版された書籍「レジスタントの京都 治安維持法下の青春」と京都の被害者名簿を手にする原田完さん。名簿はCDに収められ書籍に付けられている=京都市中京区で2025年9月3日午後4時5分、太田裕之撮影写真一覧 全国各地で被害者の名簿作りが始まり、京都でも10年ほど前から着手していた。取り組みを進めるため、2019年から府本部会長を務める元共産党府議、原田完さん(75)が21年に井口和起・府立大名誉教授や勝村誠・立命館大教授ら近現代史の研究者と京都治安維持法研究会を設立。法施行100年の節目に名簿を作成し、幅広く被害者の活動を伝える書籍の刊行につなげた。 原田さんの母、山田寿子(としこ)さん(98年に87歳で死去)も直接の被害者だった。原田さんが高2の時、前橋市の自宅を訪ねてきた作家に、母が拷問も含めた体験を語る姿を見た。驚きのあまり、生前の母に詳しく尋ねることができなかった。 鳥取市出身の母は高等女学校を卒業して上京。住み込みで開業医を手伝ったが、貧しい患者への差別扱いに反発して飛び出し、当時の共産党機関紙「無産者新聞」や町工場で働きながら労働者支援に関わるようになった。京都選出の衆院議員だった山本宣治写真一覧 共産主義者や労働運動の関係者を標的に制定された治安維持法は28年に結社の「目的遂行罪」が追加され、自由主義的な研究・言論や宗教団体の教義・信条も含めて国民全体が弾圧対象となり、最高刑も死刑に引き上げられる。これに反対した当時の労農党の京都選出衆院議員、山本宣治は右翼男性に暗殺された。その葬儀に集まった多くの労働者が一斉検挙された中に19歳だった母もいた。自伝で知った母の拷問体験治安維持法施行100年に合わせて出版された書籍「レジスタントの京都 治安維持法下の青春」の表紙=京都市上京区で2025年9月20日午前10時37分、太田裕之撮影写真一覧 共産党に入り、組織化活動に飛び回った母はその後も繰り返し検挙される。30年10月の3回目の逮捕後に横浜の警察署で1カ月以上拘束された際、自分や仲間の名前を明かさない母を、特高警察は竹刀で殴ったり、鉄球が入った袋をぶつけたり。裸にされ後ろ手に手錠をかけられ、たばこの火を陰部に押し付けられもした。32年に4回目の逮捕で刑務所に収監され、最終的には23歳だった34年秋に懲役5年が確定。37年まで栃木刑務所で過ごした。 こうした経緯は91年に刊行された母の自伝「長い旅路」で詳細に知り、原田さんも国賠同盟府本部に加わった。学説を問題視した政府によって京都帝国大を追われた滝川幸辰。戦後は京都大学長に就任した写真一覧 京都は戦前から京都大を中心に先駆的な研究者・教育者が多く、若者が集まる街だ。京大、同志社大、立命館大が近接し、教員・学生と労働運動との距離も近いことから弾圧も多くなった。 1925、26年に治安維持法発動第1号とされる京都学連事件が京大と同志社大で起き、28年の普通選挙実施後に共産党員が一斉検挙された三・一五事件では450人が検挙された。「貧乏物語」で知られるマルクス主義経済学者の河上肇は経済学部長も務めた京大で、28年に辞職に追い込まれた。33年には滝川幸辰・京大法学部教授が首相の下に設置された文官高等分限委員会により、京大総長や法学部教授会の反対にもかかわらず休職処分を受けた。 35年には宗教団体で初めて新興の「大本」が大弾圧を受ける。教団幹部ら300人が検挙され、20人以上が拷問などで死亡、綾部と亀岡にあった建物は破壊された。37年には雑誌「世界文化」と「学生評論」、隔週刊紙「土曜日」の関係者が検挙され、40年には「京大俳句」の同人15人が検挙された。43年には京大の宋夢奎(ソンモンギュ)、同志社大の尹東柱(ユンドンジュ)の朝鮮人留学生2人が逮捕され、ともに福岡刑務所で45年に獄死している。昭和初期、左翼政党の労農党本部で常任委員会に出席する河上肇(奥の左から4人目)。左から2人目は大山郁夫委員長写真一覧 書籍では著名な被害者に加え、あまり知られていない人たちも紹介。弾圧だけでなく、抵抗と戦後民主主義への貢献も伝え、名簿はCDで付けている。 「治安維持法は戦争の道を突き進むため、国民を黙らせる道具として使われたのに、いまだ国家による検証・謝罪がない。復古調や歴史修正主義が台頭して再び戦争のきな臭さが強まってきた中、世の中に警鐘を鳴らすタイムリーな出版になった」と原田さんは話す。今後も読者らから情報提供を受けて名簿を充実させ、被害者の顕彰や学び直し、民主主義を守る運動に生かすつもりだ。 27日午後1時半~同3時半、京都市中京区のウィングス京都で「もの言わさぬ国家はNO! 京都のつどい」を開く。書籍を推薦する荻野富士夫・小樽商科大名誉教授が講演する。問い合わせは実行委(075・801・3915)。【太田裕之】