24色のペン:市民と環境監視の研究者=大島秀利

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24色のペン毎日新聞 2025/9/30 06:00(最終更新 9/30 06:00) 有料記事 1710文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷アスベスト問題について講演する中地重晴さん=兵庫県尼崎市で2025年6月29日、大島秀利撮影 全国各地で環境の悪化に目を光らせてきた熊本学園大教授の中地重晴さん(69)が今夏、地域に根ざした保健医療活動を表彰する「第33回若月賞」を受賞した。関わった現場は大阪、東京、香川・豊島、熊本・水俣などさまざまで、住民に寄り添い、行動する研究者像が浮かび上がる。 若月賞は、長野県で農村医療を実践してきた故・若月俊一医師の功績を記念して創設された。若月氏はJA長野厚生連佐久総合病院の名誉総長。農民の健康を守り続けた。 滋賀の出身の中地さんは高校生の頃、自宅前の工場から毒性物質のPCB(ポリ塩化ビフェニール)が流出し、公害問題に関心を持った。京都大工学部に入学し、学生の自主組織「琵琶湖研究会」に入り、開発による環境破壊を危ぶむ日々を過ごした。 卒業後は、大阪市港区の医療法人が1988年に設立した「環境監視研究所」の研究員に。目指したのは「市民が安心して依頼できるラボ(分析室)」。水質や土壌を不安視する住民の声に向き合い、検査は格安で応じた。 チョルノービリ(チェルノブイリ)原発事故(86年)を契機に、放射能の測定にも乗り出した。事故の影響を心配した関西の複数の生活協同組合がカンパを集め、「たべものの放射能をはかる会」を結成。測定機器を購入し、輸入食品約300点を独自に測定して結果を伝えた。2011年の東京電力福島第1原発事故でも市民から検査の依頼が相次ぎ、測定した食品や環境の試料は約1500点に及んだ。 90年代にはダイオキシンの汚染問題にも取り組んだ。欠陥のあるごみ焼却場の操業で引き起こされた土壌汚染が各地で問題になり、住民側の相談役としてひっぱりだこに。大阪府能勢町のごみ焼却場周辺のダイオキシン汚染問題では、対策協議会の副委員長として、焼却炉の撤去や汚染土壌の無害化処理に立ち会った。 「科学的な専門家の協力が必要だ」。94年には、元日弁連会長の故・中坊公平弁護士が訪ねてきた。国内最大級の産業廃棄物の不法投棄場となった瀬戸内海の豊島。環境の回復を求める住民を弁護していた中坊さんの頼みを引き受け、公害調停の申し立てでは、科学的な見地から支えた。実態調査や無害化処理の方法を伝えるために、豊島に船で渡ったのは400往復以上に上る。 発がん物質のアスベスト(石綿)を調査した先駆けでもあった。…この記事は有料記事です。残り753文字(全文1710文字)【前の記事】ごっちゃまぜ誕生 認知症の人と家族が求める居場所=銭場裕司関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>