2025.09.29月刊PANZER編集部tags: IV号戦車, ドイツ軍, ミリタリー, 戦車, 軍用車両第二次大戦中にソ連と戦っていたフィンランドは、ドイツからIV号戦車をなんとか購入します。しかし直後、ソ連との休戦が成立し、代わりにドイツが敵国に。ドイツ製IV号戦車15両には、その後も波乱万丈の運命が待ち受けていました。「ドイツから期待の戦車がやって来る」――ロシアの侵攻を受けて西側諸国から主力戦車の供与を受けたウクライナを思い浮かべる人も多いでしょう。けれどこの場面は、実は80年前の北欧にあったのです。拡大画像1944年秋、フィンランドとドイツの間で起きたいわゆるラップランド戦争中、フィンランド北部のオウルで橋を渡る1号車(画像:SA-Kuva) それがフィンランドです。1939年の冬戦争以降もソ連の圧力を受け続け、望みを託したのがドイツ製のIV号戦車でした。フィンランドはドイツと防共協定を結んでソ連と「継続戦争」を戦っていましたが1944年6月9日にソ連は連合軍のノルマンディー上陸作戦と呼応するように攻勢へ転じ、隣国フィンランドへも侵攻を開始しました。 当時、フィンランド軍の戦車戦力は旧式化が進んでいました。ソ連製のT-26軽戦車、T-28中戦車、BT-42突撃砲がほとんどで、使い物になりそうなのは鹵獲(ろかく)したT-34/76が4両とKV-1が2両、あとは戦車ではありませんがIII号突撃砲(Stu 40G)59両が頼りでした。 ソ連軍のT-34/85や重戦車KV、ISシリーズと対抗するには、新鋭の装備が必要でした。選択肢として思い浮かぶのは「ティーガーI」や「パンター」でしょう。しかしフィンランドは、IV号戦車J型を40両発注します。 ティーガーやパンターは確かに強力でしたが、整備も補給も複雑でフィンランドの補給体制や練度で運用するには荷が重すぎました。対照的にIV号戦車は設計が成熟し、扱いやすく、実績も十分で既存のIII号突撃砲と共用できる部分もありました。J型はIV号戦車の最終型ですが、当時生産の最盛期で比較的入手しやすく、自国で使いこなせることが最優先だったのです。この姿勢は、現代のウクライナが西側戦車をどう扱うかという課題とも重なります。 しかし、1944年夏のドイツは東部戦線で崩壊寸前。余力は乏しく、納入は不透明でした。8月26日から9月1日までにフィンランドへ届いたIV号戦車は、15両だけでした。【次ページ】「戦車代」は未精算のまま?【写真】フィンランドで運用されたIV号戦車