毎日新聞 2025/10/1 05:45(最終更新 10/1 05:45) 1845文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷軍馬補充部白河支部を写した写真。昭和10年代に撮影(西郷村提供)写真一覧 「優しい目をした馬たちが戦地で死ぬために送られていったことを思うと、哀れでならない」 青森県十和田市に住む郷土史研究家の相馬敏光さん(79)は、自室の机に広げた史料を手に取り、こうつぶやいた。 戦時下、「お国のために」と戦地に送られたのは人だけではない。 同市周辺は古くから馬の産地として知られ、特に藩政時代の1863年に馬市が開催されて以降は「馬競り」でにぎわった。Advertisement土地開拓のため→お国のため もともと痩せた土地の開拓のために育てられてきた馬たちだが、85年には陸軍が三本木村(現十和田市)に軍馬を育てる軍馬局三本木出張所を開設。日清戦争を経て「軍馬改良」の動きが強まった96年には軍馬補充部三本木支部が置かれ、太平洋戦争が終わるまで「軍馬育成所」として国内最大規模を誇っていた。十和田市で飼育されていた軍馬について話す相馬敏光さん=青森県十和田市で2025年7月10日午後1時19分、松本信太郎撮影写真一覧 兵士を乗せる「乗馬」、大砲などをけん引する「輓馬(ばんば)」、軍需品を運ぶ「駄馬」――。徴用された馬たちは戦地の急な斜面や川の中を歩き、時に弾丸が飛び交う中で重い荷を運んだ。 相馬さんは「(馬たちは)戦争の消耗品だった」と語る。調査によれば、三本木支部では最盛期には1700頭を超える馬が一度に飼育され、大陸や南方へと「出征」していった。 馬を世話をする「牧手(ぼくしゅ)」や餌となる穀物などを栽培する「耕手(こうしゅ)」などの仕事は、軍人ではなく地元住民が担った。馬は身近な存在で、今も続く同市の9月の秋まつりは、十和田支部で働く住民やその家族を慰労するための「軍馬祭り」がルーツだと伝わる。東北各地で埋もれていた軍馬の歴史 約2000ヘクタールにも及んだ三本木支部の敷地は戦後に解放され、碁盤の目のように整然とした現在の街区の礎にもなった。「駒街道」と呼ばれる十和田市中心部の官公街通りには、三本木支部の由来が刻まれた石碑や馬のブロンズ像といった往時をしのぶモニュメントが建てられているが、現在ではその歴史が振り返られることは少ない。官庁街通りに並ぶ馬のブロンズ像=青森県十和田市で2025年7月10日午後3時3分、松本信太郎撮影写真一覧 相馬さんは会社員を定年退職後、地元の郷土館に軍馬補充部の史料が残されていることを知り、残された当時の文献や写真などの史料を一つずつ丹念に調べ始めた。調査を元に2022年には「戦場に散った軍馬―軍馬補充部三本木支部・小史―」を出版。馬たちが体験した埋もれた歴史の実態に、少しでも近づきたいとの思いだった。 「多くの軍馬たちが生きていたことを知ってほしい。どんな理由があれ、時代は移ろうとも、むごい戦争を再び起こしてはならない」。相馬さんは力を込める。 軍馬補充部は東京の本部の他に各地に支部があり、東北の他の地域でも軍馬が育てられた。 福島県西郷村には1897年に軍馬補充部白河支部が置かれ、最盛期には村の面積の4分の1ほどを関連施設が占めた。 村中心部には、1935年に建てられた白河支部の事務所が今も残る。三角屋根の建物の裏手に回ると「馬魂碑」と文字が刻まれた小さな石碑があった。育成中に病気や事故で死んだ馬を供養するためのものだ。軍馬補充部白河支部事務所の裏にある「馬魂碑」。病気や事故で死んだ馬の供養のために建てられた=福島県西郷村で2025年7月4日午後2時3分、岩間理紀撮影写真一覧 馬の育成に携わる牧手や耕手を地元住民が担うのは、十和田支部と同じ。村人たちは「海風」「浦浜」などと一頭ずつ馬に名前を付けて大切に育てた。馬と一緒に福井県敦賀市の敦賀港まで赴き、一緒に船に乗って大陸まで馬を運んだとの証言も村には残る。 現在、白河支部事務所は村の歴史民俗資料館として開放されている。中に入ると、室内には馬の蹄を削るためのヤスリやてい鉄、鞍などが並んでいた。どれも使いこまれた痕跡がある。 戦後、白河支部に残された文書などの多くは米軍による接収を恐れて燃やされたが、関連施設で働いていた村民の手元には当時使われていた馬具など史料が残されていた。「どれだけ資料を掘り起こせるか」 村生涯学習課長補佐の塩谷慎介さん(50)は「過去の軍馬補充部について語ることのできる人が年々いなくなっており、どれだけ史料を掘り起こすことができるかが課題。公文書に加え、わずかな証言でも丹念に調べていきたい」と話す。 村にはかつて白河支部で勤務し、村文化財保護委員を務めていた故近藤芳雄さんが、2005年に体験を語った動画が残されている。 「戦争が終わって、わいわいと人が内地に帰ってきたが馬は1頭もいなかった。全部、大陸に残してきた」現在は西郷村の歴史民俗資料館になっている旧軍馬補充部白河支部事務所。入り口に向かって左側にそびえるのは昭和天皇が皇太子時代に訪れた際の「お手植え」の松=福島県西郷村で2025年7月4日午後2時5分、岩間理紀撮影写真一覧 戦後になって建てられた戦役軍馬の慰霊碑は、今も全国各地に残されている。日清、日露戦争から太平洋戦争にかけて、戦争に動員された馬は実に約100万頭に及ぶとも言われる。【松本信太郎、岩間理紀】【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>