参政権なき時代に書き続けた「窓の女」 苦境の女性救う手立て探して

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深掘り2026年3月14日 10時00分有料記事大貫聡子 千葉恵理子 前田浩次 いまから115年前。朝日新聞で、取材活動をする女性記者が初めて誕生しました。竹中繁(たけなかしげ)、当時36歳。女性にまだ参政権がなかった時代、記者として駆け抜けた彼女の足跡をたどります。1911(明治44)年、女子学院高等科卒業式での竹中繁(後列の右端)。この年、東京朝日新聞に入社する=女子学院提供 竹中繁は、東京・神田に生まれた。女性の地位向上に尽くした矢嶋楫子(かじこ)が初代院長を務めた女子学院で学び、そこで培った英語力を生かし1911(明治44)年、東京朝日新聞で働き始めた。当時、36歳。朝日新聞社内の記録によると、1年間の試用期間後に正式採用され、当初は主に「外国婦人の訪問」などを担当したという。 平塚らいてうが「青鞜(せいとう)」を創刊するなど、女性の人権をめぐる動きが注目を集め始めた時期に重なる。 明治期以降、草分けとなった女性新聞記者の評伝「女のくせに」を書いた女性史研究家の江刺昭子さんによると、1890年以降、他紙ではぽつぽつと女性記者を迎え、女性読者開拓のために「家庭欄」を作る動きもあるなかで、朝日の採用は決して早くはなかった。 多くの他紙の女性記者が、今でいうセクハラ被害を受けるなど過酷な労働環境に心折れて早々に退社していくなか、竹中は55歳の定年まで勤め上げ、退職後も寄稿し続けた。江刺さんは「息長く仕事をして、職業としての女性記者の地位を築いた人物のひとり」と評価する。 だが男性ばかりの社内で居場所をみつけるのは難しかったようだ。竹中は当時を振り返り「私はひとりぼっちで、窓のほうばかりみていました」。当時の社会部長から「『窓の女』というニックネームをつけられた」(「女性改造」1949年5月号)と回想している。 社内でお昼を食べるのもはば…【スタンダードコース|デジタルのみ】今なら4カ月間月額200円で読み放題/再入会は500円!詳しくはこちら【ダブルコース半年割|宅配購読者限定】今だけ超特価!はじめの4カ月間は月額100円!詳しくはこちらこの記事を書いた人大貫聡子くらし報道部専門・関心分野ジェンダーと司法、韓国、マイノリティー千葉恵理子コンテンツ編成本部|紙面企画チーム専門・関心分野文化(美術など)、働き方、生き方関連トピック・ジャンルこんな特集も注目ニュースが1分でわかるニュースの要点へ3月14日 (土)「国家情報会議」設置へイラン、徹底抗戦の姿勢新しい自転車? 実はバイク3月13日 (金)ホルムズ海峡で船舶護衛検討ホンダ、最大6900億円の赤字チケット転売サイトを提訴3月12日 (木)抗がん剤注射後に10代死亡地下から巨大な管せり上がるガソリン価格、180円突破か3月11日 (水)東日本大震災きょう15年在留審査の手数料、値上げへイラン代表5人に人道ビザトップニューストップページへトランプ氏、カーグ島爆撃を発表 イラン経済生命線、戦闘激化の危険9:12異例の審議短縮、高市首相に党内沈黙 政権幹部「恐怖政治のよう」21:29JR東日本、きょうから値上げ 運賃表も変更、平均7.1%アップ6:00「国宝」日本アカデミー賞で10冠 吉沢亮「芸の道の喜びに触れた」23:00「あの騒ぎはなんだったのか」 旧統一教会、長く見過ごされたわけは7:00白血病と診断された少女が日本代表に 「後悔しない道」選び13年7:00