ストーリー 鵜塚健毎日新聞 2026/4/5 06:01(最終更新 4/5 06:01) 有料記事 3200文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷大学生らの質問を聞く池谷薫監督(奥左から2人目)=大阪府豊中市の大阪大で2025年12月13日、三村政司撮影 父の背中には、ガラス片が刺さったような痕があった。「何の傷なのか?」。ドキュメンタリー映画「蟻の兵隊」の監督、池谷薫さん(67)は幼少時から不思議に思っていた。その疑問が解消されたのは、池谷さんが高校3年のときだ。父は被爆者だった。 海軍の技術中尉だった父は予備役となり、広島の軍需工場に勤務。原爆投下の日、爆心地近くの寮で友人3人と朝食をとっていた。爆発の瞬間、父は「おばちゃん、おかわり」と、窓に背を向けた。友人らは即死で、助かったのは父だけ。背中の傷はその時に負ったものだった。 「なぜ、大事なことを教えてくれなかったのか」。池谷さんは怒りのような感情とともに戦争を語り継ぐ責任も感じた。しかし、詳しく聞けないまま、父は87歳で世を去る。 池谷さんは同志社大を卒業後、番組制作会社で音楽番組などを担当した。「報道やドキュメンタリーには全く興味がなかった」。転機は26歳。インドへの旅だった。多様な宗教や民族が交錯する人間模様に圧倒された。「映像で人の心の動きを伝える面白さ」に目覚める。その後、文化大革命やチベット問題など中国を舞台にして多くのドキュメンタリーや映画を製作した。新たな題材を探す中で「山西省残留問題」を知り、元兵士の奥村和一さんに出会う。 「この人を通してなら、戦争と人間という普遍的なテーマを伝えられるのではないか」 奥村さんら元日本兵は2001年、国に軍人恩給の支給を求めて訴訟を起こす。「志願して残留した逃亡兵」扱いにされ、恩給など何の補償も受けられなかったからだ。しかし1審・東京地裁で敗訴。05年に敗訴が確定する。マスメディアは関心を向けなかった。 池谷さんは、人間の尊厳をかけて人生の終盤まで国と闘う元日本兵たちから目が離せなくなり、カメラを回し続けた。 前編では「蟻の兵隊」の象徴的な場面や映画が生まれた背景に迫っています 戦争が「自分ごと」になる時代の上映意義 映画監督・池谷薫さん日常に入り込んできた戦争 「蟻の兵隊」が公開されたのは06年。小泉純一郎首相が中曽根康弘首相以来21年ぶりに、終戦記念日に靖国神社を参拝した。日中関係の緊迫もあって、映画に関心が集まり異例のヒットとなった。 それから約20年。池谷さんは近年、「学生の日常に戦争が入り込んでいる」と実感するようになった。 池谷さんは甲南女子大教授(映像制作)も務める。約4年前、ゼミの女子学生が交際相手の男性とのやりとりを撮影した映像作品に衝撃を受けた。 女子学生は、男性からSNSで「ウクライナのように俺も徴兵に取られたらどうしようか」とメッセージを受け取った。もちろん、日本には徴兵制は存在しないが、男性は戦争を身近に感じ…この記事は有料記事です。残り2085文字(全文3200文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>