有料記事聞き手 編集委員・高橋純子2025年8月6日 5時00分歌手、俳優の吉川晃司さん 戦後80年の8月6日を迎えた。広島原爆忌。あの惨状を見た人の多くがこの世を去った。記憶の風化は避けられない。世界中で戦が絶えぬなか、理想は現実の前に肩をすくめがちだ。さて、どうすれば。歌という「武器」で社会と組み合ってきた、被爆2世でもある歌手・俳優の吉川晃司さんに話を聞いた。東日本大震災で痛感した「ちっぽけな自分」 ――原爆ドームの川を挟んだ向かい側、現在の平和記念公園の中に、おじいさまが営んでいた「吉川旅館」があったと。 「長い間ずっと知らなかったんです。父親は、原爆投下後に爆心地付近に入って被爆した『入市被爆者』で、被爆者健康手帳を持っていましたが、実家の話は一切しませんでした。だけど老境に入り、親として伝えておかなければと思ったのかな、20年くらい前からぽつりぽつり話し始めて。『え? 原爆ドームの向かいに住んでたってどういうこと?』『いやいや、あのあたりは戦前、一番の繁華街だったんだ』みたいな」 ――デビューから、被爆2世だと公言されるまで結構な間があります。何か葛藤みたいなものがあったのでしょうか。 「言いたくないとか、言わないほうがいいと思ったことはありません。今は、自分に担えることがあるならできる限りのことをしたい、何より言葉にして発信していきたいと考えています。年齢を重ねたことが大きいですが、もうひとつ、東日本大震災の時、津波で集落が流されてしまった映像を見て母親がね、『あの時と同じ景色だ』って言ったんです。それに衝撃を受けました。母親は広島生まれですが、戦時中は家族と東京に住んでいて、東京大空襲に遭ったようです」 「そして自分は震災の1週間後から3週間超、宮城県石巻市にボランティアに入ったのですが、『お医者さんいませんか?』『重機を動かせる方いませんか?』という声が飛び交う中で、歌い手なんて何もできないんだという無力感にさいなまれました。もちろん戦争と災害は違いますが、多くの人々が傷ついたという意味では同じで、そういう時に、このちっぽけな自分ができることはなんだ?と」 ――なんでしたか? 「がれきの片付けをしていました。ですが、吉川晃司と知られた時に怒られたんです。君は大勢の人に発信する手段を持っている、その力を使わないでどうするのか、東京に帰ってもっとこの現状を伝えてくれと。そうか、言葉にする、詞に書いてみる、自分にできることはいっぱいあるじゃないか!と」 「それ以前は、言葉にして…戦後80年第2次世界大戦では、日本人だけでも300万人以上が犠牲になったと言われています。戦後80年となる今年、あの時代を振り返る意義とは何か。全国各地のニュースをまとめています。[もっと見る]こんな特集も注目ニュースが1分でわかるニュースの要点へ8月6日 (水)コメ増産へ転換 首相が表明群馬・伊勢崎41.8度 最高更新甲子園開幕 夕方の開会式は初8月5日 (火)最低賃金、過去最高の6%増作業員死亡、20分間に4人がセ・リーグがDH制導入へ8月4日 (月)萩生田氏秘書を略式起訴へながら運転 増える重大事故JR東、平均7.1%値上げへ8月3日 (日)首相、戦後80年文書見送りへマンホール転落 4人全員死亡トランプ氏、労働統計局長解雇トップニューストップページへ【更新中】広島、きょう被爆80年 「みなさんの心の中で生き返る」0:41コメ失政を認めた石破首相 「減反」から増産へ、歴史的転換に高い壁21:35トランプ氏、日本の対米投資80兆円は「我々が好きにできる資金」3:29日米合意「相互関税」でも食い違い 赤沢氏9回目の訪米で再確認へ5:002ナノ半導体秘密持ち出しか、TSMC元社員ら拘束 日本企業も捜索22:57ガソリンの販売価格を調整、長野の組合支部に排除措置命令へ 公取委2:00