「高校野球は嫌いだった」 津田学園の監督が目指す「考える野球」

Wait 5 sec.

毎日新聞 2025/8/7 06:15(最終更新 8/7 06:15) 1033文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷三重大会を制し、夏の甲子園出場を決めた津田学園の佐川竜朗監督=津市本町の津球場公園内野球場で2025年7月26日午前11時22分、長谷山寧音撮影 第107回全国高校野球選手権大会(日本高野連など主催)に6年ぶりに出場する津田学園の佐川竜朗監督(47)は「高校野球は嫌いだった」という。自らの経験に疑問を感じながら、実践したこともあった。だが、時代に合わせて考え方や指導も変え、「自分たちで考えさせること」を意識することで選手たちの成長を促した。 甲子園出場を懸けた今夏の三重大会決勝で象徴的な場面があった。1点リードの八回に無死満塁のピンチを迎えた。佐川監督は同点に追い付かれても確実にアウトを取るため、「後ろで守れ」と指示した。Advertisement だが、「1点も取らせる気はない。前で守りたい」という選手たちの意見を尊重した。迎えた打者の打球を前進守備だった遊撃手が捕球すると、迷わずボールを本塁、一塁に転送して併殺に仕留めると、続く打者も遊ゴロに打ち取り、無失点で切り抜けた。 佐川監督が目指す「生徒たち自身で考える野球」を実践したプレーだった。 大阪府出身の佐川監督は強豪のPL学園に進学し、3年生だった1996年夏には甲子園に出場した。だが、日ごろから上下関係が厳しく、緊張感は日常生活にも漂った。「甲子園に行ってこそ高校野球。しゃべる時間も無駄」と先輩と野球について意見を交わすこともなかったという。 明治大、日本通運で野球を続け、引退後は指導者に転身すると、2008年に津田学園の監督に就任した。自らの経験も踏まえ、当初は「ガンガン練習し、怒って活を入れる」指導を行った。 だが、選手は付いてくることなく、成績も伸び悩んだという。「このままでは勝てない」と思った佐川監督は自らが「嫌い」に感じていた部分を変えることにした。 意識したのは対話だ。監督から指示するだけでなく、選手たちの意見も聞くようにした。選手から話しかけやすくするため、三重の言葉遣いに変えたという。 また、自宅の一部を寮にして選手を受け入れることにした。家族のように接しながら、選手が全力で野球を楽しめることを目指した。 成績も上向いた。就任前に甲子園は春に2回出場していたチームは2017年に夏初出場を果たし、19年には春夏連続出場した。6年ぶりに甲子園にたどり着いた現在のチームも、佐川監督から話しかけられた恵土湊暉主将が「いいっすね」と返事するなど、壁を感じさせない。 三重大会で選手の成長を実感して臨む3回目の夏の甲子園。7日は叡明(埼玉)との初戦を迎える。大舞台でのプレーを選手たちが楽しめることを願って、ベンチから見守る。【長谷山寧音】【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>