マースヤーで踊りを披露する子どもたち=沖縄県粟国村で2026年2月16日午後8時38分、喜屋武真之介撮影写真一覧 あけましておめでとうございます。 何をいまさら、と思われるだろうか。実は旧暦では2月17日が今年の「元日」。今も旧暦に基づく風習が根強く残る沖縄では大切な節目の一つだ。中でも粟国島では、「マースヤー」という旧暦の年越し行事が盛大に開催されていると聞き、お邪魔してきた。 粟国島は美しい海から塩を精製する産地として知られる。沖縄本島の那覇市から北西に約60キロ離れた周囲12キロほどの小さな島で、約660人が暮らしている。フェリーでは那覇から2時間ほど。「大みそか」にあたる2月16日の船内は、月曜日にもかかわらず多くの帰省客でにぎわっていた。Advertisement旧暦の大みそかの「マースヤー」を迎え、各家庭を回って歌や踊りで盛り上がる粟国島の島民ら=沖縄県粟国村で2026年2月16日午後9時45分、喜屋武真之介撮影写真一覧 島民たちの住む集落は島の南側に固まっている。東、西、浜の三つの大字の中に、「原(はる)」や「組」と付く計11の小字がある。独特の読み方が多いので紹介したい。 「巣飼下原(しがんさばる)」「前バル原(めーばるはる)」「草戸原(くさとばる)」「泊原(とまいばる)」「首里福原(しゅいぶくばる)」「大濱原(うっぱまばる)」「伊久保原(いいくぶばる)」「端田原(はんたばる)」「前組(めーぐみ)」「後組(くしぐみ)」「西組(いりぐみ)」 「泊」を「都舞」、「首里福」を「首里保久」と表記している資料もある。「前バル原」は「原」が重複している気がするが、間違いではないらしい。かつてはもっと細かく共同体が分かれており、時代の流れとともに集約したり変化したりしたとみられる。 話をマースヤーに戻そう。マースヤーは旧暦大みそかの日暮れごろから始まり、11の小字ごとに子どもを中心とした一行が家々を回って歌や踊りを披露していく。マースヤーでは名前の由来となった塩を持って家々を訪れるのが習わしだ=沖縄県粟国村で2026年2月16日午後8時46分、喜屋武真之介撮影写真一覧 マースヤーは沖縄の言葉で「塩売り」を意味し、家を訪れるとまず口上を述べながら塩を縁起物として配るのが習わしだが、廃れている小字もある。 興味深いのは、11小字の境界があいまいで密接しているにもかかわらず、独自の衣装や演目が伝わっていることだ。「昔はほかの部落には絶対に秘密だった」と話す年配の方もいた。 せっかく粟国島まで来たのだから「そんな11小字を全部撮りたい!」。そう意気込んで楽しみにしていたが、始まってみると想像していた以上に大変な取材だった。旧暦の大みそかの「マースヤー」で、琉装姿で踊りを披露する女性たち=沖縄県粟国村で2026年2月16日午後11時47分、喜屋武真之介撮影写真一覧 小字を移動しながら一行を見つけるのは、闇夜に響く太鼓や三線(さんしん)の音色が頼り。しかも練り歩くのはそれぞれの小字内だけだと思っていたら、拝所や個別に依頼された家などはその限りではなく、行き先の予測が難しかった。断続的に雨が降る悪天候の中、水に弱いカメラを守りながら右往左往するのも、運動不足の体にはこたえた。 しかし、それ以上の楽しさがあり、夢中で集落を駆け回った。行く先々で私までビールや泡盛をふるまってもらえたのはもちろん、島民たちのマースヤーに対する思いが伝わってきたからだ。 「草戸原」の中学3年生、砂川文音さん(15)は「卒業前で忙しくて出られない予定だったけど、お母さんにお願いして出られることになった」とうれしそうに教えてくれた。粟国島には高校がないため、ほとんどの子どもたちは中学卒業とともに島を離れる。マースヤーに備え、おしろいをぬってもらう「草戸原」の松井美雨さん(7)=沖縄県粟国村で2026年2月16日午後5時54分、喜屋武真之介撮影写真一覧 砂川さんも4月から沖縄本島の高校で寮生活を始める。「島を離れるのは不安だけれど、最後にめっちゃ盛り上がりたい」と、本番前には子どもたち同士でメークアップを楽しんでいた。 一方、粟国島出身で今は沖縄本島に住む与儀好子さん(87)にとって、今回は「中学卒業以来」のマースヤーだった。島を出てそのまま結婚し、旧正月はずっと嫁ぎ先で迎えてきたが、「死ぬまでにもう一度マースヤーを見たい」とおいに頼んで連れてきてもらったという。「西組」の一行と一緒に踊る与儀好子さん(中央)。粟国島出身だが、マースヤーを見るのは中学を卒業して島を出てから初めてだったという=沖縄県粟国村で2026年2月16日午後8時50分、喜屋武真之介撮影写真一覧 「西組」の一行が親族の家を回ってくると一緒に踊りだし、最後は感極まって涙を流した。「どこにもこんな旧正月はないよ。なくしてはだめよ」。そう熱く話してくれた。 「首里福原」では新川博敏さん(42)が本格的な琉球舞踊を披露していた。3歳まで粟国島で育ち、その後は家族に連れられて沖縄本島に移り住んだ。しかし、「いつかマースヤーで踊りたい」と琉球舞踊を始め、プロの踊り手として活躍するまでになった。マースヤーのために毎年帰省し、故郷の芸能を支えている。マースヤーで見事な踊りを披露する「首里福原」の新川博敏さん=沖縄県粟国村で2026年2月16日午後11時31分、喜屋武真之介撮影写真一覧 日暮れから始まるマースヤーは、小字によっては元日の午前1時や2時ごろまで続く。子どもたちも遅くまで起きていなければいけないため、粟国島では今でも翌日の旧元日は休校だ。ただ、かつては日が昇るころまで続いていたという。 戦後間もないころに5000人近くいた島民は、減少の一途をたどっている。マースヤーは元々は青年たちが主体だったが、就職や進学で島を離れてしまうため、行事の中心は子どもたちになっていった。 その子どもたちも、今では小中学校の児童生徒を合わせても50人に満たない。担い手も回る家も少なくなり、マースヤーができない小字も出てきている。旧暦の大みそか、マースヤーのために路地を歩いて家々を訪ねていく子どもたち=沖縄県粟国村で2026年2月16日午後9時38分、喜屋武真之介撮影写真一覧 「土日に重なるともっとたくさんの人が帰ってくるんだけどね」という声も聞いた。現代社会が新暦で回っている以上、旧暦の行事が新暦の平日に当たった時に、遠い故郷に帰るために休みをとれる人ばかりではないだろう。行事を新暦に合わせるか、複数の小字で合同開催するか。行事を続けるためには、そう遠くない将来に大きな変化を迫られるかもしれない。 粟国島ではマースヤーが終わった後も、旧暦1月2日の「フナウクシ(船起こし)」、3日の「ハチウクシ(初起こし。人によっては『ムラウクシ(村起こし)』とも言う)」など、大切な行事が続く。子どもたちがお年玉をもらえるのも、旧正月になってからだ。マースヤーは遅い時間まで続くため、疲れて寝てしまう子どもの姿もあった=沖縄県粟国村で2026年2月16日午後9時41分、喜屋武真之介撮影写真一覧 「新暦のお正月も、ハッピーニューイヤー!みたいな感じで楽しいけど、旧正月はもっと楽しいよ」。マースヤーのためにメークをばっちり決めた「草戸原」の小学6年生、玉寄絆凪(はんな)さん(12)は、そう断言した。 1年に2度、新年を祝える粟国島。また改めて訪れたい。【写真・文 喜屋武真之介】