映画の推し事毎日新聞 2026/2/27 06:00(最終更新 2/27 06:00) 有料記事 2432文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷フレデリック・ワイズマン監督(左)と筆者 ドキュメンタリー映画の巨星、フレデリック・ワイズマン監督が2月16日、米国マサチューセッツ州の自宅で亡くなった。享年96。僕にとっては心の師匠のような人だった。 ワイズマンの遺作となった「至福のレストラン/三つ星トロワグロ」(2023年)が発表されたのは、今からわずか2年半前だ。1960年代から映画を作り始め、90歳を過ぎても現役で作り続けた。 残した長編映画の数は、3本の劇映画を含めると45本。彼が築いた巨大な業績に比肩するドキュメンタリー映画作家は、過去にも現在にも存在しない。たぶんこれからも現れないだろう。手法一貫 撮影隊3人 ワイズマンの手法やスタイルは、第1作「チチカット・フォーリーズ」(67年)から遺作に至るまで一貫していた。 彼が主にカメラを向けたのは、米国の病院、高校、軍隊、警察、裁判所、福祉事務所、霊長類研究所、競馬場、動物園、公園、バレエ団、大学などの「公的組織」である。晩年にはフランスにも撮影対象を広げた。 ワイズマンは事前のリサーチをせず、台本も書かず、数週間組織に密着して撮影を進めた。撮影隊は3人。カメラマンと助手、そして録音と監督を兼ねるワイズマンである。彼は常々「撮影がリサーチだ」と言っていた。ワイズマンにとって、撮影は学びと発見のプロセスだったのだと思う。テーマ決めず編集10カ月から1年 しかし重要な発見の多くは、編集中にもなされたはずだ。ワイズマンは1本の映画の編集作業に、約10カ月から1年をかけた。編集前にテーマを設定せず、映像を切ったりつないだりの試行錯誤を繰り返しながら、時間をかけて映画の構造やテーマを見いだしていった。彼の映画が紋切り型や説教臭さから自由で、みずみずしい発見に満ちてい…この記事は有料記事です。残り1707文字(全文2432文字)【時系列で見る】【前の記事】サイズ違いの日本で奮闘 ブレンダン・フレイザーに豪州も泣き笑い関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>