BeMe:「才能は殺せない」 巨匠の陰に隠れた女性たち、残した名曲照らす光

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BeMe 私らしく毎日新聞 2026/2/28 11:00(最終更新 2/28 11:00) 有料記事 2006文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷ピアニストの石本裕子さんが演奏した女性作曲家の作品21曲を収めたCD=2025年12月20日午後6時59分、後藤佳怜撮影 そのコンサートのプログラムに「巨匠」の名はない。 シキーニャ・ゴンザーガ、テクラ・バダジェフスカ、アンナ・ボン……。 見慣れぬ作曲者は、男性の巨匠たちとは異なり日陰を歩んできた女性たちだ。 「音楽は男性のものだった。少し自由な時代に生まれた女性として、隠れた女性の名曲に光を当てたい」 そんな思いで演奏家としての活動の傍ら、執筆や動画投稿に取り組むのは、ハンガリーを拠点とするピアニストの石本裕子さん。特に印象的な作曲家の一人がエイミー・ビーチだという。 ビーチは1867年に米国で生まれ、幼少期から欧州留学を勧められるほどピアノの才能に秀でていた。 だが、母親は「音楽は嫁ぐ日までのたしなみ」と考え、19歳で43歳の外科医と結婚させた。 夫は「妻が夫を支えるのが当たり前」という考えの持ち主で、母親同様、ビーチが演奏で収入を得ることを許さなかった。 転機は43歳の頃。夫と母親の死去を機に音楽活動を再開すると、抑えられていた才能が開花する。欧州渡航を自力で成し遂げて高い評価を受け、生涯で約300曲を作った。 「かごの中の鳥だった彼女が古い価値観を持つ家族から解き放たれて、名曲を残せたことが素晴らしい」 ビーチのような作曲家は少なくない。 石本さんはそんな女性たちの姿に胸を打たれ、2015年、ウェブエッセー「陽の当たらなかった女性作曲家たち」の連載と演奏した音源のユーチューブへの投稿を始めた。 きっかけは、音楽界で自身が感じてきたモヤモヤとフェミニズムがつながった経験だった。音楽界に渦巻いていた性差別 札幌市で生まれた石本さんは、名門の米ジュリアード音楽院を卒業。日本の短期大のピアノ講師などを経て欧州に渡った。 世界に飛び出すと、日本の常識に違和感を覚えた。 日本でピアノを習う女性は多いのに、…この記事は有料記事です。残り1252文字(全文2006文字)【時系列で見る】【前の記事】「将棋か出産か」の局面 福間香奈さんが指した「除名覚悟」の勝負手関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>