毎日新聞 2026/3/1 21:00(最終更新 3/1 21:00) 857文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷父武雄さんが乗っていた「燕」が沈んでいるとみられる海を前に、手を合わせる吉田進さん=沖縄県宮古島市で2026年3月1日午後5時33分、喜屋武真之介撮影 第二次世界大戦中に沖縄県の宮古島沖で米軍に撃沈された旧日本軍の艦艇「燕」を捜索する潜水調査が1日に始まった。この日は船体を確認できなかったが、ダイバーは2日も調査を続け、船体や犠牲となった乗組員の手がかりなどがないか探すことにしている。 燕は全長約69メートルで、水中に機雷などを設置する「敷設艇」だった。「先島群島作戦(宮古編)」(瀬名波栄著、先島戦記刊行会)によると、1945年3月1日に米軍の攻撃を受けて沈没した。40人が生き残ったとされるが、犠牲者数は不明のままだ。現場海域は大型船も行き交う航路のためダイビングが難しく、艦艇は海底に放置されてきた。Advertisement 犠牲者の一人、吉田武雄艇長(当時34歳)の長男進さん(84)=千葉市=は長年、宮古島に通って慰霊を続けるとともに、遺骨の引き揚げを願い、戦没者の遺骨収集事業を担当する厚生労働省などにも働きかけてきた。ただ、国側に動きはなかったという。 今回は、沖縄戦で亡くなった人たちの遺骨収容を続ける具志堅隆松さん(72)の呼びかけに、水中探検家の伊左治佳孝さん(37)らが応じた。伊左治さんは、水没事故で朝鮮半島出身の労働者ら183人が亡くなった山口県宇部市の海底炭鉱「長生炭鉱」の遺骨収容にも携わっており、「戦争犠牲者の子ども世代も高齢になった。遺族が生きている間に今すぐやるべきだ」と協力を決めたという。 初日は水深約50メートルまで潜って海中環境の確認を進めたといい「場所はある程度特定されているので、安全に(調査)回数を重ねられれば見つけられると思う」と話した。 武雄さんの命日にあたる1日、子ども3人と宮古島を訪れた進さんは「私も体が弱ってきて、調査は進まないものと諦め、おやじに謝らないといけないと思っていた。本当に感謝しかない。簡単ではないと思うが、専門家の調査なので期待している。こういった取り組みが平和につながってほしい」と願った。 進さんら遺族は燕が沈没したとされる午後5時ごろ、現場海域が見渡せる高台に移動し、手を合わせた。【喜屋武真之介】あわせて読みたいAdvertisement現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>